カテゴリ:  思いを寄せて( 27 )

平和記念式典


 平和記念式典は 広島市原爆死没者慰霊式 並びに 平和祈念式の総称ですが
 「記念」と「祈念」の どちらがどちらだったか 毎年悩みます。

 原爆ドームの向こうに見える黒い建物は 商工会議所。
 移転すると言いながら 一向にその気配はありません。
 画像にすると それがどれだけ目障りな存在なのか わかるのですが、、、。

d0174983_15044845.jpg

 「平和の灯」が 赤々と燃え上がる 8月6日。
d0174983_15045923.jpg

 広島にいると 8時から式典の放送があるのですが、
 東京では ぎりぎり8時10分から始まるので なんとなく あわただしくて
 非常に 儀礼的な感じがしますが、仕方ない、、、、

 遠い豊洲から 世界平和を願って 合掌。  

by saint-arrow-mam | 2017-08-06 15:26 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(8)

日野原先生のご葬儀


 昨年、聖路加病院に通い始めたときに 売店で日野原重明先生の著書がたくさん販売されているのを見て
 日野原先生が 聖路加病院の名誉院長であることを知りました。

 先週の火曜日(25日)、日野原先生の訃報を知った数日後に
 いつものように 月1回の検診のために病院へ。
d0174983_20201575.jpg

 聖路加病院は 聖ルカ(せい・ルカ)の病院、という意味を持つキリスト教の病院なので、
 病院本館の2階に 広くて立派なチャペルがあります。

 たまたま通院している皮膚科が そのチャペルの並びにあるので 
 チャペルの扉が開いているときには 診察の待ち時間に 中を見学させていただいています。
d0174983_20202313.jpg

 この日、チャペルに遺影が置かれていれば 手を合わよう、、と思って覗きましたが
 祭壇には 遺影もなければ 花の一つも 飾られていませんでした。

 正直 ちょっと拍子抜けし、そういうものなのか、、と思っていましたら、
 今日29日に 青山葬儀場でご葬儀が行われ、皇后さまが弔問されたというニュースが、、、
d0174983_20203258.jpg
 
 ご冥福をお祈りいたします。

by saint-arrow-mam | 2017-07-30 08:10 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(8)

函館のサルたち


 今年の9月 湯の川温泉に行ったとき、
 温泉に入ることで有名な「サルたち」に会いに函館市立熱帯植物園に行きました。
d0174983_16290285.jpg

 ところが 雨が降っていた上に プールには「温泉」ではなく「水」が張ってあったので
 サルたちは プールに入らず 雨にうたれていました。
d0174983_16295771.jpg

 それが 今日のニュースを見ると あのサルたちが、、、、、
d0174983_16454680.jpg

 東京ですら 連日これだけ寒いことを考えると
 函館は もっと寒い日々が続いていたはずなのに
 今日になって やっと 「温泉」にしてもらえたようで 安心しました。 

by saint-arrow-mam | 2016-12-01 16:47 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(4)

2016原爆の日に寄せて

 2016年 5月27日 
 学生時代から「核廃絶」を主張しつづけた バラク・オバマ大統領が 
 広島市の平和記念公園で行った歴史的スピーチには 世界が注目しました。

 そしてスピーチを終えたオバマ大統領が 1人の日本人男性とハグし 
 背中を優しく撫でたシーンは 非常に感動的なものでした。
d0174983_18555961.jpg

 私も 心を大きく揺さぶられましたが 
 ハグした方が 森 重昭さん(79)と聞いても 正直 どういう関係者なのかわかりませんでした。

 森さんは 被団協の坪井さんほど テレビでお顔を拝見する機会がないですし
 実際、テレビでも 「被爆者の男性」 としか紹介されませんでした。

 ところが 先月 Shinpapaの大学の広島支部の同窓会に その森さんが出席され、
 彼が Shinpapaの大学の大先輩であることが わかりました。

 しかも 森さんは オバマ大統領を広島に呼び寄せた、“最大の立役者”とも言える人物だったというのです。

 森 重昭さんについては
  http://www.nippon.com/ja/people/e00097/に詳しく書かれていますが
 Shinpapaが もらってきた資料によると 
 彼は サラリーマン生活のかたわら、捕虜になっていたアメリカ兵が この原爆で12人も被爆死していることを調べ続け、
 それを 本(『原爆で死んだ米兵秘史』)で著わした、、、とあります。
 
 実は 森さんは 昨年の8月6日の原爆の日に ケネディー駐日大使が来広したとき
 広島市民は 国籍を問わず アメリカ兵を含めた全犠牲者を追悼していること
 そして アメリカ大統領には 謝罪を求めているのではなく 
 核廃絶への祈りを広島から世界に向けて発信してくれることを望んでいる と
 元 新聞記者を通じて伝えたそうです。

 結果として、ケネディー駐日大使が 森さんの著書やその思いをホワイトハウスに伝えたことで 
 オバマ大統領の広島訪問が決まったというのです。

 同窓会で 森さんは オバマ大統領が来広した当日は、
 「被爆者として」ではなく 「米兵犠牲者を発掘した人」 として 特別招待を受けたことや
 その連絡があったのは、大統領が来広する わずか2日前であり、
 アメリカ大使館から 「ケネディ大使の要請」という形だった ということを 話されたそうです。
by saint-arrow-mam | 2016-08-06 06:00 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(2)

ピアニストの憧れ

d0174983_1983568.jpg


日本を代表するピアニストで 世界的に活躍されていた 中村紘子さんが亡くなりました。

私は 小学校に入った時から ピアノを習い始めたのですが、その頃から名前を知っていた ひとまわり年上の彼女。
おそらく 私だけでなく ピアノを習っていた女の子みんなの憧れのピアニストだったと思います。

「ピアニストは指にケガをしてはいけないので 私は 料理も洗濯もしない」 という彼女は 音楽だけのために生きる人だ と勝手に思い込んでいた私ですので 「赤頭巾ちゃん気を付けて」の庄司薫氏と結婚されたと知った時には ショックで ひっくり返りそうになったことをよく覚えています。




 (中村紘子 オフィシャルサイトより)

中村紘子は早くから天才少女ピアニストとして注目され、1960年NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビュー。ジュリアード音楽院留学を経て1965年に第7回ショパン・コンクールで入賞。以後、日本のピアニストの代名詞となり、国内外のオーケストラとの共演、世界各国でのリサイタルなど3800回を超える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けた。レコーディングも活発に行い1968年にソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来、50点余りの録音を残した。
1982年からはチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員、1997年から浜松国際ピアノコンクールの審査委員長も歴任。「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのボランティア活動にも積極的な役割を果たした。デビュー50周年を迎えた2009/2010年シーズンには80回を超える「デビュー50周年記念コンサート」を実施。2015年には東京交響楽団と36年連続37回目となるニューイヤーコンサートに出演。病気と闘いながら、2016年4月には東京交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を共演。5月8日に兵庫県洲本市(淡路島)で行ったリサイタルが最後の公の場での演奏となった。


 憧れていた人が この世から姿を消すということは 無性に寂しいものですね。

                            R.I.P.中村紘子さん
d0174983_1954225.jpg

by saint-arrow-mam | 2016-07-29 20:00 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(2)

アンビルトの女王

 2012年にインスブルックに1ヵ月滞在していた時に
 何度も利用していたケーブルカーの駅の画像です。

d0174983_15271276.jpg

d0174983_15272963.jpg

 この曲線のフォルムが なんとなく、、どことなく、、、、似てるでしょう。

 ボツになった 新国立競技場のデザインに、、、。

d0174983_15293610.jpg

 
 実は 両方とも Zaha Hadid(ザハ・ハディド)のデザインなんです。

 女性初、最年少で建築界のノーベル賞であるプリッカー賞を受賞した 彼女のデザインは 
 さまざまな国際コンペで優勝するものの あまりに斬新なので 建築が完成しないことが非常に多く
 「アンビルトの女王」 と呼ばれているのです。
         ( 「アンビルト」とは 「実現しなかった建築」という意味)

 新国立競技場が白紙撤回された今、
 貴重な彼女の作品を 日本で見ることは出来なくなってしまいましたが、
 もう一度 どこかで彼女の作品と出会うチャンスが、、、、、、欲しい。 
by saint-arrow-mam | 2015-08-03 06:00 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(4)

広島土砂災害 その後


 パソコンに届いたメールを 携帯電話に転送するようにしているのですが、
 仕事をしていない今では それほどの数のメールは届きません。
d0174983_111951100.gif
 ところが 最近 ひっきりなしにメールが届くようになりました。
 それは 広島市が発令する 避難勧告・指示 あるいはその解除のメールです。

 特に 昨日は 次から次にメールが届き、驚きました。

d0174983_2259542.jpg

 お江戸に来たので 広島市が発令した避難勧告は 直接関係なくなったのですが、
 広島には 母がいますので ずっと設定をしたまま メールを受信し続けています。

 ここ数日 土砂災害について 東京ではニュースで取り上げられることはなくなり、
 たまに特番で取り上げられたとしても とても総括的で、
 すでに過去の災害、今後はどうする? という感じがする報道です。

 でも 現地 広島では 連日 行方不明者の捜索が続けられ、
 今なお 県民の関心事のトップになっているのではないかと思います。
d0174983_111951100.gif
 まして 避難勧告地域に住んでいる人達は
 ひっきりなしに 避難勧告や避難指示が出たり解除されたりするのですから
 心休まらぬ 毎日を過ごしていらっしゃることでしょう。

 メールが届くたびに 災害の地に思いが飛び、祈るような気持ちになります。
by saint-arrow-mam | 2014-09-03 11:23 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(8)

世も末じゃ


 朝一番で 下記のニュースを目にして 気分が悪くなり すっかり落ちこんでしまいました。

 子供の虐待のニュースを聞くのも 辛いですが、
 あまりに 情けなくて ひいばあちゃんが 口にしていた 「世も末じゃ」 という言葉を思い出しました。

d0174983_16295231.jpg


 同じような 悲しいレポートも見つけました。
     → クリック
 

 吠えたり、走ったり、匂いを嗅いだり、 イヌの本能をすべて否定された上に 
 マーキングもせず、トイレにも行かず 食べ物を見ても欲しがらず、
 ほえられても、噛まれても 抵抗せず、じっとしているように訓練されるという盲導犬。

 そして そのストレスのせいで 盲導犬の寿命は 普通の犬よりも短いのだと 聞きました。

 人間のために 我が身を犠牲にして生涯を送る 盲導犬に対して
 こんなひどいことをする人が いるなんて、、、
 また それを見ていた人が 止めることができなかったなんて、、、

 本当に これが今の日本なのでしょうか?
 信じたくない気持ちです。
 
 全く、、、、「世も末じゃ」
by saint-arrow-mam | 2014-08-29 06:00 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(14)

終戦記念日に寄せて

 JUST BECAUSE IT ISN’T HAPPENING HERE DOESN’T MEAN IT ISN’T HAPPENING.

d0174983_9583021.jpg


 今現在 戦争をしている地域が これほどあるなんて、、、

 世界が平和になってこそ 日本の平和が実現できるのだと思っています。
by saint-arrow-mam | 2014-08-15 14:29 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(6)

マンデラ氏の訃報

d0174983_1110040.jpg

 南アフリカ、特にケープタウンの治安の悪さについては 
 旅行のサイトを見ても 外務省の掲示板を見ても 恐ろしい言葉ばかりが目につきます。

 でも 実際にケープタウンに行ってみると Door to Door の移動であったせいか、
 それほど恐怖心を感じることは ありませんでした。

 一方で 郊外に建つ一般の白人住宅が 鉄の面格子や 高い塀、鉄条網などで 
 異常なまでに武装されているのを見て、
 一旦 暴動が起こった時の 恐ろしさを感じたのも事実です。

 アパルトヘイトについては 「知識」としては 知っていましたが、
 滞在中に 現地の方に それについて聞くことは 当然しませんでした。

 意外なことに(当然の成り行きなのかもしれませんが) 現地のガイドさんは 高学歴ですが、
 白人(1日目ガイド)と黒人(2日目ガイド)では マンデラ氏に対する評価が 全く違いました。

 マンデラ氏が投獄されていた刑務所は 本土から遠く離れた島にあり、
 平坦なその島を テーブルマウンテンの上から やっと見ることができました。

d0174983_11254822.jpg

 そして 1990年に 刑務所から出所した際、バルコニーから演説したのも ケープタウンでした。

d0174983_11264781.jpg

 この演説が行われた日、市庁舎広場には 多くの人々が集まったそうですが、
 実際にこの場で その演説を聞いたことを ガイドさんが誇らしげに話していたことが印象的でした。

 ガイドさんは イギリスに留学をし、流暢な英語を話す黒人女性でしたが、
 バスを降りて 自由時間になると マンデラ氏の話を 私に熱く語りました。

 船のツアーの人達が ほとんど白人だったので 彼女なりに配慮して、
 同じ有色人種である日本人に話をしようと 思ったのかもしれません。

 マンデラ氏の死去を どのような気持ちで受け止めたのか、
 訃報を聞いて 真っ先に彼女のことを 思い出しました。
  
by saint-arrow-mam | 2013-12-07 06:00 |   思いを寄せて | Trackback | Comments(2)