日本を代表するピアニストで 世界的に活躍されていた 中村紘子さんが亡くなりました。
私は 小学校に入った時から ピアノを習い始めたのですが、その頃から名前を知っていた ひとまわり年上の彼女。
おそらく 私だけでなく ピアノを習っていた女の子みんなの憧れのピアニストだったと思います。
「ピアニストは指にケガをしてはいけないので 私は 料理も洗濯もしない」 という彼女は 音楽だけのために生きる人だ と勝手に思い込んでいた私ですので 「赤頭巾ちゃん気を付けて」の庄司薫氏と結婚されたと知った時には ショックで ひっくり返りそうになったことをよく覚えています。
(中村紘子 オフィシャルサイトより)
中村紘子は早くから天才少女ピアニストとして注目され、1960年NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビュー。ジュリアード音楽院留学を経て1965年に第7回ショパン・コンクールで入賞。以後、日本のピアニストの代名詞となり、国内外のオーケストラとの共演、世界各国でのリサイタルなど3800回を超える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けた。レコーディングも活発に行い1968年にソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来、50点余りの録音を残した。
1982年からはチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員、1997年から浜松国際ピアノコンクールの審査委員長も歴任。「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのボランティア活動にも積極的な役割を果たした。デビュー50周年を迎えた2009/2010年シーズンには80回を超える「デビュー50周年記念コンサート」を実施。2015年には東京交響楽団と36年連続37回目となるニューイヤーコンサートに出演。病気と闘いながら、2016年4月には東京交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を共演。5月8日に兵庫県洲本市(淡路島)で行ったリサイタルが最後の公の場での演奏となった。
憧れていた人が この世から姿を消すということは 無性に寂しいものですね。
R.I.P.中村紘子さん