ピアニストの憧れ

ピアニストの憧れ_d0174983_1983568.jpg


日本を代表するピアニストで 世界的に活躍されていた 中村紘子さんが亡くなりました。

私は 小学校に入った時から ピアノを習い始めたのですが、その頃から名前を知っていた ひとまわり年上の彼女。
おそらく 私だけでなく ピアノを習っていた女の子みんなの憧れのピアニストだったと思います。

「ピアニストは指にケガをしてはいけないので 私は 料理も洗濯もしない」 という彼女は 音楽だけのために生きる人だ と勝手に思い込んでいた私ですので 「赤頭巾ちゃん気を付けて」の庄司薫氏と結婚されたと知った時には ショックで ひっくり返りそうになったことをよく覚えています。




 (中村紘子 オフィシャルサイトより)

中村紘子は早くから天才少女ピアニストとして注目され、1960年NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビュー。ジュリアード音楽院留学を経て1965年に第7回ショパン・コンクールで入賞。以後、日本のピアニストの代名詞となり、国内外のオーケストラとの共演、世界各国でのリサイタルなど3800回を超える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けた。レコーディングも活発に行い1968年にソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来、50点余りの録音を残した。
1982年からはチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員、1997年から浜松国際ピアノコンクールの審査委員長も歴任。「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのボランティア活動にも積極的な役割を果たした。デビュー50周年を迎えた2009/2010年シーズンには80回を超える「デビュー50周年記念コンサート」を実施。2015年には東京交響楽団と36年連続37回目となるニューイヤーコンサートに出演。病気と闘いながら、2016年4月には東京交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を共演。5月8日に兵庫県洲本市(淡路島)で行ったリサイタルが最後の公の場での演奏となった。


 憧れていた人が この世から姿を消すということは 無性に寂しいものですね。

                            R.I.P.中村紘子さん
ピアニストの憧れ_d0174983_1954225.jpg

by saint-arrow-mam | 2016-07-29 20:00 |   思いを寄せて | Comments(2)
Commented by TanMatsui at 2016-07-29 20:18
偶然 今日はお互いのブログが音楽絡みの内容になりました。
そして 八丁堀F屋の屋上がリニューアルオープン、ここへ広響の音楽を
聴きに行きました。
http://www.fukuya-dept.co.jp/honten/special/?p=okujyoRenewal16
演奏の最後は 「それゆけ カー……」  おっと 3S!
無性に寂しい。 今日はTVを見ずに お休みしましょう。
Commented by shinmama at 2016-07-29 20:35 x
Hiro様

ブログを纏めながら Hiro様のブログで教えていただいた「望郷のバラード」 を youtubeで聞いていました。

ピアノを習っている女の子の憧れの存在が中村紘子さんであったように、
バイオリンを習っている女の子の憧れの存在が 演奏されている天満敦子さんなのでしょうね。

梅雨明けと同時に 猛暑になったので 昨日今日、出歩くのを控えて引きこもっていましたが
明日は どうしても出かけないと 冷蔵庫の中に食べるものがなくなりました。(笑)


<< ブルーチーズ はやきた 梅雨明け >>