カテゴリ:   1900年以前( 6 )

『旧日本銀行京都支店』

 
 前回と同じ 最上階のレストランで 朝食をとりましたが、
 今日は 霞んで遠くが見えませんでした。

 この日は 朝から異常に湿度が高く、ホテルの廊下を歩くだけで 
 むっとして 気持ちが悪くなり 私にしては 少ない量の朝食です。
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 今日は 病院に行く時間の調整で 午前中は 「京都文化博物館」に行こうと思っているのですが、
 半端ない蒸し暑さに ちょっと歩いただけで あっという間に汗がぼたぼた落ち始めました。
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 本館で 「横山崋山展」を見る前に 別館へ。
   (三条通からいくと 別館が 博物館の入口になります)

 「京都文化博物館」の別館は 『旧日本銀行京都支店』として使われていた建物で、
 辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、2年10ヵ月の歳月をかけて完成し、明治39年6月に完成しています。
 現在では 明治を代表する洋風建築として評価が高く 昭和44年に国の重要文化財に指定されています。
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 S大学の特別講座で 片山東熊についての講座を聴講してから
 「旧日本銀行京都支店」は チャンスがあれば、見に行きたいと メモメモしていた建築物の一つです。

       片山東熊のブログ → https://runslowly.exblog.jp/26194316/



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 辰野金吾(1854-1919)

 現在の佐賀県唐津市に生まれ、明治6年に工部省工学寮に入学し、建築学を学ぶ。
 明治12年には首席で卒業、翌年からイギリスへ留学。
 ここで当時流行の最新様式を学んで帰国し、工部大学校(工学寮が改称)教授を経て、
 50歳で建築事務所を開く。
 辰野は全国的規模で日本銀行の支店などの設計に取り組んだ。



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 長野宇平治(1867-1937)

 明治26年帝国大学工科大学造家学科を卒業。
 横浜税関嘱託を経て奈良県嘱託となり、奈良県庁舎および県会議事堂を設計(明治28年竣工)。
 和唱洋髄と称する、和風意匠をはじめて試みた日本人建築家。
 数多くの銀行建築をてがけたが、代表作の大倉精神研究所(昭和7年)は、
 単なる古典主義ではない破綻的な意匠を含み注目された。




   上記人物の写真と 当時と比較した画像は HPよりお借りし 加工しました

<<外観>>
 赤煉瓦の外壁に 白い花崗岩の白帯を何本も巡らせるという、
 イギリスのクイーン・アン様式をアレンジさせた 一目で辰野金吾とわかる外観です。
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<<営業室>>
 天井が高く、窓から入ってくる光だけでもとても明るいのですが、天井にも窓があります。
 これは、ドーマー窓といわれる、屋根から自然光を取り入れるための窓です
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間取り
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 京都にも 東京に負けないくらい この時代の建築物が 沢山残されていることを 羨ましく思いながら 見学しました。
 
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 そして本館では、、、
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 『横山崋山展』は 昨年の秋に 東京のステーションギャラリーで 開催されていたのですが、
 行く機会を逸し、あきらめていました。

 調べると たまたま 京都に行く時期に開催していたので ラッキーだったのですが、、、、
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以下 サイトより抜粋
 横山華山(1781/4~1837)は、江戸時代後期の京都で活躍した人気絵師。
 彼は 曾我蕭白(そがしょうはく)に傾倒し、岸駒(がんく)に入門した後、呉春(ごしゅん)に私淑して 絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につける。諸画派に属さず、画壇の潮流に左右されない、自由な画風と筆遣いで人気を博していた。

 華山は作品は 人物画、花鳥画、山水図など幅広い画題に秀いでていたが、なかでも風俗画や祭礼図は真骨頂で、細やかな描写に目が奪われる。その画風は息子、弟子たちにも受け継がれ「横山派」として 京都画壇で独自の地位を築き上げたものの、フェノロサをはじめとする海外の著名なコレクターに早くから評価され、欧米の美術館に優品が多数所蔵され 国内で目にする機会が減ったためか、大正期以降は次第にその名は忘れられていった。


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 京都独特の蒸し暑さに バテてしまい、見ている途中でフラフラし始め
 駆け足で見てしまい、とても残念なことをしました。

 今考えると 軽い熱中症だと思うのですが、
 「別館」の見学に時間をかけたのが 間違いでした。
 


by saint-arrow-mam | 2019-07-24 13:40 |    1900年以前 | Comments(2)

『桂離宮』

 Shinが 大学在学中に「桂キャンパス」が完成し、百万遍から桂に引っ越した際に 
 彼と「桂離宮」に来たことがありますが、Shinpapaは 来たことがありません。

 ただ 桂離宮は 建築が始まって以来 400年間 一度も火災に遭っていない 貴重な国の財産で
 現在は 宮内庁が所管しているので いつでも、だれでもというわけにはいかず 事前の予約が必要で
 京都に Shinpapaと来ることを決めた時に この日の予約をしました。

 京都では インバウンドがもたらす観光被害が大きな問題になっていますので
 貴重な施設では 予約を必要とし、見学できる人数を制限をするのは 良いことだと思います。

 「桂離宮」の場合、グループを作り ガイドさんの説明を聞きながら 全員一緒に参観コースを回るのですが、
 グループの後ろに 警備の人が付いてきていて、ちょっとでもグループから外れそうになると 
 「ぼーーーとしてんじゃないよ」と 注意されます。

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 桂川がすぐ隣に流れる西岸に、平安朝の雅な雰囲気に思いを馳せて 江戸時代初期に造られた桂離宮。
 造営したのは宮廷きっての文化人として知られる、八条宮智仁(としひと)と智忠(としただ)です。

 参観コースは 離宮の「表門」から始まり、、、、
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 複雑に入り組む汀線(ていせん)を持ち、大小5つの中島に土橋、板橋、石橋を渡している池を 
 いろんな角度から 見ながら 回ります。
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 作庭に当たり 小堀遠州は直接関与していないとする説が有力ですが
 遠州好みの技法が随所に認められます。
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 州浜、築山、山里など 日本の精錬された美意識で貫かれた自然美は 
 日本人にしか理解できないだろう と思っていたのですが、
 一緒のグループにいた スペイン人ご夫婦に聞くと 「素晴らしい」と しきりにスマホで写していました。
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 前回 来たときよりも 建物の内部を参観させてくれるように なっていましたので
   (中には 入ることはできませんが、、、)
 茶室や 待合、書院など 建物からお庭をみると どう見えるのか 私の興味はそこに。
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 約1時間かけてゆっくりと 見て回ることが出来たので、
 Shinpapaが 「来て 良かった」と喜んでくれました。

by saint-arrow-mam | 2019-07-11 21:39 |    1900年以前 | Comments(0)

桂離宮 ナウ

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午前の時間潰しに、桂離宮に来ています。
by saint-arrow-mam | 2019-07-10 10:37 |    1900年以前 | Comments(0)

『北海道庁旧本庁舎』

 複数の 札幌編ブログのリユースです。
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札幌の北3条通から西方面を望むと、突き当たりに堂々とした姿の北海道庁旧本庁舎が見える。「赤れんが庁舎」の愛称で知られる煉瓦づくりの建物だ。現在使われている新庁舎ができるまで約80年に渡って道政を担った旧本庁舎は、1888年(明治21年)に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の建築。明治時代に作られたひずみのあるガラスや、化粧枠にしまわれた寒さ対策の二重扉など、そこかしこに機能美が感じられる。館内は一般に無料公開され、北海道の歴史をたどる資料を展示。

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煉瓦づくり

火災のために屋根と内部が焼失したが煉瓦の壁はしっかりと残り、その後創建当時の形に復元された。白っぽく見える石は市内で採掘された石山硬石。

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by saint-arrow-mam | 2018-12-13 00:00 |    1900年以前 | Comments(0)

『豊平館(ほうへいかん)』

 2018年1月23日のブログの リユースです。



 豊平館は 明治13年に明治天皇北海道行幸の際の 行幸所として建設された
 ホテル建築の貴重な遺構で 中島公園の中にあります。

 アメリカ風様式を基調とした 木造2階地下1階建てで、外壁は下見板張り、
 基礎は石積で 屋根には8基の煙突が取り付けられています。

  木部はペンキ塗りで、下見板は白、柱や窓枠などはウルトラマリンブルーを使用した
 白群青とする 鮮やかな外観が特徴です。
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 私は 保存修理工事が完了する前に 2度、来たことがありますが、Shinpapaは 初めてです。

 内部は、伝統技術で作られた和風意匠の美しい天井中心飾をはじめ、
 漆喰塗で仕上げられた暖炉のマントルピースなど、当時の優れた左官技術を見ることができます。

 当時の北海道で これだけの天井高の建築物を建てることができた 技術力に ただただ、感心します。
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 明治天皇だけでなく、大正天皇と皇太子であった昭和天皇もお泊りになったホテルですので、
 当時使われていた家具や食器、資料なども きちんと残されています。
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 なかでも 美しく復元されていて 私が感動したのは 照明器具と天井の漆喰彫刻でした。
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 国指定の重要文化財ですし、天皇にかかわる建物なので 
 忖度され、保存され、修復工事も 完璧になされています。


by saint-arrow-mam | 2018-12-12 00:00 |    1900年以前 | Comments(0)

「迎賓館赤坂離宮」と「明治記念館」


 2016年の4月「迎賓館赤坂離宮」が 一般に公開されることになったときに、
 テレビの特番で その内部を見る機会がありました。
  ハプスブルク家の宮殿やケンジントンパレスの内部に比べると 赤坂離宮はイマイチだったので
 見に行きたい とは思いませんでした。

 でも 昨年の12月 S大学の『宮廷建築家片山東熊〜日本の建築を追求した人生〜 』という講座を受講してみると、
 自分の目で 当時の確認してみたいと思う点が、、、。

   ブログ → http://runslowly.exblog.jp/26194316/
 
 個人で予約することもできるので ボッチで行くつもりでしたが、
 Shinpapaも行きたい というので 待ち時間がない
 クラツーの「迎賓館赤坂離宮と明治記念館」のツアーで、、、。

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 9時半に JR四ツ谷駅に集合し、歩いて迎賓館へ。
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 ツアー(46名)は優先して 開館前に中に入れてもらいましたが
 セキュリティーチェックは 10時からでないと始まらない?? なんのこっちゃ。
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 団体チケット(800円)を受け取り解散、2時間の自由見学となります。
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 「本館」と「主庭」、「前庭」の順に見学し、逆戻りはできません。
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 特に本館内部は 効率よく見学できるように 見学ルートが決められています。
 内部は 撮影不可。
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 << 花鳥の間 >>
「花鳥の間」という名は、天井に描かれた36枚の油絵や、欄間に張られた錦綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝などに花や鳥が描かれていることに由来します。周囲の腰壁は茶褐色のシオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのが七宝です。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼の天才・涛川惣助が焼いたものです。
この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大130名の席が設けられます

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 日米首脳会談の際、この部屋で、、、。
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 << 彩鸞の間 >>
「彩鸞の間」という名は、左右の大きな鏡の上とねずみ色の大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞」(らん)と呼ばれる霊鳥をデザインした金色の浮彫りがあることに由来します。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せています。
晩餐会の招待客が国・ 公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビインタビュー等に使用されています。

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 アウンサンスーチー氏と この部屋で、、、。
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 << 階段 と 2階大ホール >>
 階段を上がれない賓客のために 黄金の扉のエレベーターが増設されていました。
中央階段を上がったアーチ状の天井の南北には、南が兄朝日が昇る風景、北側に夕日が沈む風景の油絵がついで描かれており、その中央には菊の御紋章が飾られています。2階大ホールの天井高は約8m。イタリア産の8本の大理石の円柱によって支えられています。
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 朝日の間は修復中ですが、小磯良平の絵はじっくりとみることができました。
2階大ホール正面の左右の壁面には2枚の大油絵(小磯良平画伯作 向かって左側は「絵画」、右側は「音楽」)が飾られています。
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 << 羽衣の間 >>
 中2階にオーケストラ・ボックスがつくられており、この部屋が舞踏会場として設計されたことがわかります。
「羽衣の間」という名は、謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300平米の曲面画法による大絵画が、天井に描かれていることに由来します。3基のシャンデリアは迎賓館で最も豪華なもので、およそ7,000個もの部品で組み立てられており、高さは約3メートル、重さは約800キログラムであり、壁は楽器、楽譜等をあしらった石膏の浮彫りで飾られています。
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 宮廷建築家の片山東熊の総指揮の下に、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した、
 日本における唯一のネオバロック様式の西洋風宮殿建築の「赤坂離宮」ですが
 肝心の東宮御所として使われることは あまりなかったそうです。

 昭和になり、迎賓館として利用するため、村野藤吾の設計で大改築が行なわれたので、
 片山東熊のオリジナルが どこに残っているのか はっきりしませんでしたが、
 S大学の講習会を受けたときに 自分の目で見たいと思っていた ”天井の高さ”と”壁紙の文様”を しっかりと確認し、
 講習の際にいただいた資料を手に、オリジナルだろうと思われる装飾部分を見つけながら
 時間をかけて 見て回りました。
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 << 主庭 >>
 主庭から本館を見ると、シェーンブルン宮殿に雰囲気が似ているような気がしますが
 建物は 比較にならないほど 小さいです。(笑)
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 国宝となっている 噴水越しに、、、
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 いたるところに つけられている菊の御紋章が 眩しい!!
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 << 前庭 >>
 前庭から 本館を見ると 逆光、、、ということは 建物の方角は 全室南向き。
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 この正面玄関に立って 海外からの国賓や公賓をお迎えになる 皇族の姿を テレビでよく見ます。
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 でも その屋根に 鎧兜の彫刻があるとは 知りませんでした。(笑)
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 門から表面玄関までの石畳を歩くことは なぜか許されていませんでしたので
 画像には映っていませんが、向かって右側の塀に沿って 歩きます。
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 青空に映える 白くて立派な門扉は ケンジントン宮殿に似ています。
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 歩いて15分程度で 「明治記念館」へ。
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 この中のレストランで 昼食のカレーをいただきます。(ツアーに含まれています)
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 レストランは明治21年に建てられたもので、
 明治天皇が伊藤博文にこの建物を下賜され、彼が大井村の自邸に移したものを
 大正7年に明治神宮外苑の造営にあたり、再度この地に移築されたものだそうです。
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 その後、「憲法記念館」と称され、皇室関係の諸行事に使用されていたものを 
 明治神宮の結婚式場として 一般に公開されています。

 ちなみに 東京で時々会うShinpapaの同級生は ここで披露宴をしたそうです。

by saint-arrow-mam | 2018-02-14 12:21 |    1900年以前 | Comments(8)