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『牛久シャトー』


 「牛久」と言えば、話題の横綱・稀勢の里の出身地ですが、
 「牛久シャトー」とは 「バー神谷」で有名な、実業家である神谷傳兵衛が、
 1903(明治36)年に フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、
 葡萄の栽培からワインの醸造まで行なっていた 日本初の本格的ワイン醸造工場跡地です。
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 設計を、唐津(佐賀県出身)の建築家・岡田時太郎(1859~1926)に依頼し
 フランス風のルネサンススタイルの洋館を、明治36(1903)年に竣工させました。

 ちなみに岡田時太郎は かなりユニークな経歴を持った建築家で、
 10代に半ばに大阪の英学校と造幣寮の付属学校で学んだのち、造幣局の文書貯蔵掛として勤務。
 そして20歳の時には、工部省鉄道局に転職したのち 明治18(1885)年に上京して帝国大学の雇員となり、
 そこで同郷の幼馴染みの辰野金吾(1854~1919)と再会し、建築家の道を志すことになったのです。

 牛久シャトー以外に 彼が設計した建築物には 旧第三国立銀行松江支店 (現かげやま呉服店)や 旧三笠ホテルがあり
 その後 彼が中国の大連に活動の拠点を置いたため、旧大連税関(下の画像)など多くの作品が残されているようです。
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 オリジナルの建物を見たかったのですが、東日本大震災時に大きく損傷してしまったために
 その後 長らく修繕工事が行われ、2016年に やっと工事が終わりました。

 せっかく修復工事が終わったというのに 経営上の理由から、建物の一部が
 来年閉館されることが決まったそうです。

 「牛久シャトー」は 2007年に経済産業省より「近代化産業遺産」に認定、
 2008年には 「旧事務室」、「旧醗酵室」、「旧貯蔵庫」が
 明治中期の煉瓦造建築として また初期の本格的ワイン醸造施設として、
 文部科学大臣から国の重要文化財に指定されています。


 < 旧 事務室 (現 本館) >

 牛久シャトーの入口になっている部分ですが、ちょっと新しすぎて 眩しい感じがします。
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 < 旧 発酵室 (現 レストラン)>

 レストランは営業していなかったので 中に入ることはできませんでしたが
 外観にそれほど特徴は見られず、3つの中では一番 殺風景な建物でした。
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 < 旧 貯蔵庫 (現 記念館 )>

 大きな地下室もあるにもかかわらず 修復された箇所が少ないところをみると 
 貯蔵することを目的に建てられていたために、そもそも堅固な設計であったのだと思います。
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 破風の下の煉瓦のアクセント貼りに、設計者の遊び心が 感じ取れます。
 凸凹によってできる影で演出するなんて、岡田氏は細やかな感性の持ち主だったのでしょう。
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 資料館の内部を見ると (展示資料はそっちのけで 壁ばかり見て歩いてしまいました)
 内壁を取り払った状態のニッチがありました。(左の画像)
 
 そこには 外壁施工の裏面が見えていましたが 
 外壁の凸部分は 空洞で 外壁煉瓦の1枚張りであることがわかります。(右の画像)   
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 東日本大震災の後に 取付けされたであろう「鉄骨の小屋梁」に 
 仕方がない、、とは思いつつも 少々興ざめしましたが、(左の画像)
 古い「筋かい」を 壁に固定する部分に意匠が施してあることには 感服しました。(右の画像)
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 傳兵衛は 自家にあった美術骨董品668点すべてを 
 東京帝室博物館(現:東京国立博物館)へ献納したそうですが、
 今の時代、これほど社会に大きな貢献する実業家て、、、いないですね。

by saint-arrow-mam | 2018-11-16 06:00 |    1901~1920年 | Trackback | Comments(4)

『国際子ども図書館』


 上野の山は歴史的建造物の宝庫です。
 行く度に改修工事が終わって、古い時代の美しい建物が 次々に復元されています。

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 中でも 国際こども図書館(旧帝国図書館)は ルネサンス様式を取り入れた
 明治の洋風建築の代表作のひとつで、
 久留正道の設計により、1908年に鉄骨補強煉瓦造の第一期工事、
 1929年に鉄筋コンクリート造の第二期の二次にわたって建設されました。

 その後、「国際子ども図書館」に転用されるにあたり 安藤忠雄氏により設計、
 改修工事が行われて、2002年に完成し開館となりました。

 改修におけるテーマは、歴史的建造物の保存と再生、現代の施設としての活用が掲げられ、
 外装、内装は旧態を残すよう極力保全するとともに、徹底的に補修、復元を施すことが 命題だったようです。
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 従来の明治の洋風建築の外観を残しつつ 機能を向上させる一環として
 建物の一部を、安藤忠雄の得意とするRC打ち放しと ガラスのカーテンウォールで覆っていますが
 違和感がないかといえば ウソになります。

 ルーブル美術館も 似たようなイメージですが、私には違和感がなかったので 
 ここは日本だ と思って見てしまうことが ネックなのかもしれません。
 
  





 東京だけでなく、旅先でも美しい建築に出会ってきたのですが、
 「国内疎開」を始め あちこちのカテゴリーに入っているため 検索が難しくなってきました。   
そこで 後々 自分で振り返りやすいように あらたに『名建築』のカテゴリーを作り、
 これから出会う建築物はもちろん、今までブログにアップしてきた建築物も 当時の画像を使いながら 
順次 このカテゴリーに まとめていきたいと考えています。
   (個人的蒐集にすぎない カテゴリーになると思います)


by saint-arrow-mam | 2018-11-12 08:12 |    1901~1920年 | Trackback | Comments(6)

『明日館』

 旅行会社が 無料で開講する 「知求アカデミー オープンカレッジ」。

 興味をひかれた講座があったのですが、それより何より その講座の開催される建物がいい!!
 この機会に 是非とも見学したいと思いましたので、でかけます。

 、、、あっ ついでに 講座も予約しました。(笑)
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 会場の「明日館(みょうにちかん)」は 
 1920年当時、帝国ホテルを設計した 巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により 建設された建物です。

 国内のライトの建築物の多くは 空襲や関東大震災で崩れてしまったのですが
 「明日館」は 現存する数少ない建築物で国の重要文化財の指定を受け、
 平成13年に保存、補修工事が完了しています。
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 建物は 木造で漆喰塗、中央棟を中心にシンメトリーに配して
 ライトの第一期黄金時代の作風に見られる 高さを抑えた佇まい。

 建築学的には 2×4工法の先駆けと言われる建物で 
 日本建築には見ることができない ライトの作風を示す典型的な建築です。
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 ホールは この建物のデザインを特徴づける幾何学模様の窓を配しています。

 昭和の初期に修理を行った際、窓は上下二分割されていたそうですが、
 平成の補修工事で 施工当時の形に復元したそうです。
 当時としては画期的なデザインなので 施工する職人さんは さぞかし驚いただろうと思います。

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 食堂は 外光を巧みに取り入れて明るく、また幾何学的な装飾を用いて 変化に富んだ空間になっています。
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 照明器具もライト自身がデザインしたそうですが、
 ユニークな天井の形状や 幾何学模様にの窓に 良くマッチしています。
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 ライトの作品は 大谷石(おおやいし)が多用されているのが 特徴ですが、
 廊下や暖炉の使われている大谷石が インテリアのアクセントになっています。
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 所有者は 「婦人の友」の前身である「家庭の友」を創刊した 羽仁吉一・もと子夫妻で
 明日館は 「生活即教育」という理念を持って 彼らが設立した 女学校の校舎です。
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 そして 主目的の講座ですが、
 それぞれの教室に分かれて 午前と午後、あわせて、28もの講座があり、好きな講座を選んで 参加することができます。

 旅行会社が主催するだけあって、北欧やヨーロッパ、中国などの観光地の説明が主ですが、
 私が選んだのは 芝浦大学の非常勤講師 岩谷洋子先生の
 「サンピエトロ大聖堂の建築家たち==ローマのルネサンスとバロック」という いかにも人気のなさそうな講座です。(笑)

 教会堂の構築に着手したブラマンテに始まり、ラファエロ〜ペルッツィ〜サンガッロ〜ミケランジェロ
 〜リゴーリオ〜ヴィニョーラ〜ポルタ〜フォンターナ〜マデルノ〜ベルニーニ〜ボッロミーニまで
 イタリアの名だたる建築家が順に 工事を継続し、
 その時々の教皇の要望を取りいれて変更し、サンピエトロ大聖堂を仕上げていくまでの変遷を
 写真や図面を見せながら わかりやすく説明してくださいました。
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 また 2度目のローマに行ったとき、フリータイムで これらの建築家が設計した教会を いくつか見て歩いていたので
 先生の説明を聞きながら、それらを頭の中で 時系列に並べることができました。

 特に リゴーリオの「まつぼっくり」の中庭や
   ローマ観光1日目  ブログ → https://runslowly.exblog.jp/22163264/
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 ミケランジェロの「カンピドーリオ広場」や ヴィニョーラとポルタで 完成させた「イル・ジェズ聖堂」など
   ローマ観光2日目  ブログ → https://runslowly.exblog.jp/22164572/
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 詳しく知らなかった細かな建築面での変遷などを 教えてもらったのは 私には大きな収穫で、
 帰宅後 改めて自分の写した教会の画像を見て 細部を確認しました。

 また 幸いなことにローマは自分の足で歩いたので 街の大まかな地図が頭に入っており、
 宗教的建築物の位置関係の解説が 理解しやすかったように思います。

 思っていたより かなりマニアックな講座でしたので、
 久しぶりにメモ帳に必死で書きとめ、特徴的な平面図は スライドを見ながらアウトラインを書いていると
 あっという間に 時間が経ってしまいました。

 周囲の 奥様方は???
 皆さん よく眠っていらっしゃいました。(笑)

by saint-arrow-mam | 2018-03-27 06:00 |    1901~1920年 | Trackback | Comments(2)

『東京駅 丸ノ内駅舎』

 東京駅丸の内駅舎は、ジョサイヤ・コンドルを師と仰ぐ辰野金吾により設計され、1914年(大正3年)に創建されました。
 
 創建当時のイメージ 
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 しかし、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されていた東京駅は 1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失しました。

 創建当時の柱が ほんの一部だけ 現在の東京駅のホームに 残されています。
 いずれは取り壊されるだろう運命の柱を 昨年来 上京する度にホームで探し、2か所見つけることができたので、ファイリングしています。

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 戦後、元の駅舎を再建しようとしたのですが、予算がなく、3階建ての駅舎を2階建て駅舎として復興したそうです。
 しかし、この度の「保存・復原工事」で、外観は創建時の姿に忠実に再現されるというので とても楽しみにしていました。

 完成予想パース 
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 さらに、未来へ継承するため、鉄骨煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能拡大の工事を行い、
 巨大地震にも耐えうる建築とするため、「免震工法」で施工されています。

 駆体施行図 
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 10月に一般公開される東京駅の新駅舎が この日(9月24日)一足早く報道陣に公開されるため、
 現場では 足場が外され、仮囲いも撤去され 多くのカメラマンでにぎわっていました。

 一般のヘボカメラマン shinmamaの写した 新東京駅です。 (パノラマ加工)

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 偶然 駅舎を背にして テレビカメラに向かって話している 専門家らしき人がいましたので 耳をダンボにして話をメモメモ。

 1階2階のレンガ張り部分は保存して、3階部分を新しく増築したようなイメージだ。
 しかし3階部分には 構造上 レンガではなくタイルを使うことになった。
 
 現在、日本で使われているタイルのほとんどは 中国で作られているが 東京駅の復原工事には日本の小さなメーカーが作ったタイルが使われている。
 既存のレンガと違和感のない色に合わせるために メーカーは試行錯誤を繰り返し、見事なタイルを作り出した。



d0174983_1337155.jpgしかし タイルはレンガに比べて 厚さが薄いため 重厚なイメージにならない。

そこで 目地をアールにして、
目の錯覚で厚みを感じられるよう工夫した。


フムフム、、、、目地ねえ。 
1階の入り口付近は 今回、修復しているので タイルのはずです。
見に行ってみました。(疑うわけではないのですが、、)

「洗い」は まだのようですが、たしかに目地が Ω になっています。
いい仕事 してるねえ、、。
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 私の経験から考えて タイルの「角役物(角に貼る目的のタイルで L型になっている)」も90度のL型だけではなく 何種類かの角度に曲がった「角役物」が必要だったのではないか、また、「タイル割り(美観上、小さな欠片のタイルを貼らないように あらかじめタイルの幅、目地の幅、施工する場所の縦横の幅の調整をしておくこと)」で 綿密な計算をして行ったに違いなく、今回の工事は建物の復原なので おそらくタイルの方で 数値の調整をおこなったのではないかと、、、。

 煩雑な作業を 高度な技術でやり遂げられたのは、日本の小さなタイルメーカーだからこそ可能だったのではないかと 思うのです。

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 東京駅の新駅舎には 東日本大震災の被災地の「奇跡の瓦」が使われています。
 下記は 昨年のメモメモですが、この機に自分のブログに残しておきたいと思います。

宮城・石巻市雄勝町(おがつちょう)は、主に屋根材に使われているスレート瓦の名産地で知られてきた。
スレート瓦というのは、薄板状に割れやすくなった天然の岩石を加工したものである。

スレート瓦を扱う「四倉製瓦工業所」は、津波で工場の機械を失った。
しかし、この会社のスレート瓦は、東京駅舎の復原工事に使われることになっていた。

出荷目前だった2万5,000枚の瓦は、倉庫が海岸近くにあったため、その多くが流された。
「建物から何から何まで崩壊した。みんなで東京駅に出そうと頑張ったのに...」

雄勝のスレート瓦が絶望視される中、真っ先に始めたのは、1枚1枚拾い集めるという作業だった。
使える瓦かどうかを見極めるのが、「たたいた音」。
使えない瓦からは濁った音が鳴り、使える瓦からは甲高い音がする。
職人たちは1枚1枚叩いて確認した。
瓦の泥も丁寧に洗い流し、何とか1万5,000枚を確保することができた。

石巻市雄勝町の「復興のシンボル」を なんとしても東京へ出荷したい。
四倉さんは5月10日、東京駅を訪れ、「2億5,000万年前の石が、1,000年に1度の津波に負けてたまるかと」と熱く語った。
工事までに納品可能ということもわかり、無事、採用が確認された。

6月4日、スレート瓦は、東京駅に向けて石巻市雄勝町を出発した。
東日本大震災から4カ月たった7月11日、東京駅の屋根部分の復原工事では、石巻市の瓦職人が作業に入った。

雄勝のスレート瓦がふかれる中央部の作業が本格的に始まるのは9月ごろ。
東京の空の下で、多くの人の思いが込められた復興のシンボルが輝くこととなる。


 「奇跡の瓦」のことを知ってからは 1日も早く新駅舎を見たいと首を長くして待っていました。
 そして この駅を見上げるたびに 被災地の皆さんがこの瓦に込めた思いに 心を寄せようと思います。

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 内部を一部見ることができましたが、写真を写すには まだ不十分な状態でした。
 照明器具、天井の装飾を含め、内装は次回の参勤交代の楽しみの一つにしようと思います。

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by saint-arrow-mam | 2012-09-27 07:01 |    1901~1920年 | Trackback | Comments(8)